父の話1918年生まれの父、他界して10年がたち、父の若いときの話を思い出しました。第二次世界大戦に出兵し、中国にわたり、 ![]() 重機関銃を担当し戦火をくぐりぬけ日本に帰国。 戦後の混乱期に生き抜く。 そのときの車バイクにかかわるエピソードを・・・ 当時、国内は食料は圧倒的に不足し、ヤミの食料が横行していた。当局は必死になって取り締まりをし、見つかると没収、禁固刑というきびしい処分があった。当時の父は大阪の堺に田舎があり、実家が農家であったので、オート三輪で米の調達を、家に戻る途中、運悪く警察の検問が・・・「後ろの積荷はなんだと、実家からもらったと答えると無罪放免、一応、運転免許と・・・無免許の父は・・いや、、警官は・・「早く取りにいきなさいよ」と当時、運転免許は申請すればOKに近いものだったらしい。それよりもヤミ米の取締りのほうが重要だった。 ![]() そんな父も二輪の免許を取得 富士重工のラビットに乗ってた。 ![]() 1950~1960年当時国産バイクの値段は10万~20万円程度 初任給が1万円程度だったので年収とほぼ同じ! 父がインディアンに乗りたいと言っていた、 ![]() その当時ハーレーは国産の陸王がライセンス生産していて、 最高のバイクといえばインディアンであった。 インディアンモーターサイクルは倒産したが2000年に復活 昔のモデル「シェリフ」が復活 父の夢を果たしたいなと考慮中! ![]() ![]() このページに使用している画像は著作権者に無断で使用させていただいています。 不都合がありましたら速やかに削除しますのでお知らせください。 |